ホーム > 道南勤医協だより > 道南勤医協だより 394号

道南勤医協だより 394号

道南勤医協歴代理事長が未来に伝えていきたいこと

法人設立40周年記念企画◆新春座談会

道南勤医協歴代理事長が未来に伝えていきたいこと

出席者紹介

畑中 恒人 初代理事長
内山 清 前理事長
堀口 信 理事長
山口 あき 稜北クリニック看護主任
岩城 朋美 稜北病院地域連携室主任

民主的な医療機関を道南地域へ展開する時代

畑中 初代理事長

 私が道南へ来たのは、北海道勤医協から経営を別にし、民主的な医療機関を全道に展開するということが決まったからです。最初に旭川に道北勤医協が作られ、その後、釧路と函館にも展開するのに誰が行くかと議論となりました。外科医でしたので、色々な内科研修を受けて内科医として勤務することになりましたが、興味があった社会医学の勉強ができることが楽しみで函館へ行くことを決めました。私はここで労働者を守る運動と健康を守る運動を手がけました。函館診療所ができた時期から第1次オイルショックが起き国民全体が苦しい時代へとなって行きました。

 一方で国の政策の中行われた新幹線、高速道路、青函トンネル建設へ道南の漁民や農民が出稼ぎへ行き労災患者へとなっていき、食生活の変化から慢性疾患の患者も増えていった時代でした。私がそこで職員教育で重視したのが労働者の健康や生活の困難事例を知ることです。地域に職員が入り患者さんの家を訪問することはすごく職員教育になるからです。

 フィールドワークとして農民や漁民の健康調査や津軽海峡線の調査を行いましたが、当時、参加した職員は現在でも本当に心に残っていると言っています。これが民医連ではないかと思っています。今は当たりまえの夜間診療や訪問診療等の先進的なことをおこなってきたのが民医連であり、患者さんから学ぶことが、現在にいかされていると言えると思っています。

 

道南各地に民主的な診療所建設と医療経営構造改革の時代

内山 前理事長

 初代理事長の畑中先生がこちらに来て、函館診療所から始まり道南各地へ広げていくための地域センター病院を作ろうということで稜北病院を建設していた時に私はここへ来ました。稜北病院の創成期には患者さんが増えなく経営面で大変苦労をしました。稜北病院が完成し50床、104床と大きくなり、友の会の運動と共に一歩一歩発展していきました。

 次に江差診療所の建設を行いました。建設した時は経営面で診療所に大いに助けられました。当時の江差地域では、診療所へ救急搬送が多く来て大変な状況でしたが、地域の医療機関も民医連の診療所ができたことで姿勢も変わっていきました。
 その次は八雲ユーラップ医院の建設を行い各地に民医連の旗を掲げました。私は理事長2代目でしたが初代理事長があまりにも大きな存在でしたので、理事長役は一時的な役目と考えていました。私が理事長だったのは1998年からと思いますが、そのころから国の構造改革路線が始まり、社会保障が次々と切り捨てられ、医療経営も一時存亡の危機も迎え職員も必死に頑張っていた時代でした。
  また、民医連も医療、福祉、介護へどんどん拡大した時代で経営構造の転換を迫られました。一方で、地域医療、福祉連携が深まった時代でもあり、一面では自分たちの医療経営構造を変えることにより外部との世界が広がっていったとも言えます。

 私がもう一つ苦労し大事だと思うことは、人づくりと職場づくりの問題です。医療人としての生きがい、やりがい、明るい職場づくりが大切ですがこの点での集団づくりがまだ充分とは言えません。次の世代には、皆で育ちあい、元気になり世の中の進歩に役に立つ医療人に育ってもらいたいと思います。最後に今の日本の憲法を守る特に9条や25条、核のない世の中、沖縄基地問題の3点を次の時代にどう引き継ぐかを改めて考えています。

 

道南勤医協の大きな転機と多職種連携への時代

堀口 理事長

 私が道南に来てから大きな転機がありました。2つの一般病棟の内一つを療養型に転換したことです。これにより、佐々木副理事長は呼吸器専門医とし赴任していましたが、一般内科医へかわる重大な決断をし、経営的に貢献しました。こうして医療と介護をミックスした病院になり、地域のなかでも医療と介護をつなぐ役割になっていった時期です。その途中にリハビリ医療や在宅医療ができました。時代とともに求められるものが変わりますが病院のかたちを変えると民医連の病院ではなくなるのではないか、職員のモチベーションが下がるのではないかと思われますが、そのようなことにはなっていません。また、昔と現在でも職員はかわっていないと思います。改めて民医連の最も重要なことは、患者の立場に立つ医療である点にあります。

 患者の立場に立つ医療はチーム医療にもつながり、医療と介護の連携にもつながる、そして共同組織の躍進と、すべてにつながる一番大事なことです。現在は、医療と介護の連携という一番大きいテーマをやり遂げるのは多職種連携であり、それが一番展開されているのは在宅医療です。そこで行われている色々な展開の連携スタイルが新しい私たちの民医連の姿へなっていくと思います。そういったビジョンと夢を共有し、民医連の原点に確信を持ってもらいたいと思います。夢をおおいに語りあい、ぜひ対話を旺盛に行ってもらいたいです。それは必ず勉強にもなり、成長もできると思います。綱領から始まり色々な医療技術の展開、診療所の展開から始まり、そして今医療と介護の連携を患者の立場に立つ医療としてしっかり引継いでいってほしいと思います。

 

道南勤医協の歴史と私たちが次の時代へ伝えていく役割の大切さを知る

山口あき 看護師

 お話を伺い、民医連はすごいと思いました。道南勤医協の歴史を詳しく伺う機会もありませんでしたので、今回、自分が働いている職場の歴史を知ることは大変大事だと思いました。今まで皆さんが、頑張ってきたから今があり、歴史を知るということが、今後働いていくビジョンとなると感じました。また、沢山の職員にも聞いていただきたいと思いました。自分もゆくゆくは歴史を伝えられるよう、きちんと実践と社会情勢に目を向けながら皆で語り合える職場づくりをしていきたいと思います。

岩城朋美 医療ソーシャルワーカー

 入職し8年目になり、更に民医連の歴史を知り、次に伝えられるように学びを深める時期になったのだと思っています。私たちは勤医協の歴史を引き継いで何ができるか、何をしていきたいのかを考えて行く時期になったとも思っています。
社会保障や地域の情勢を見ていき、どんな活動につなげるか考え、問題点を見つけて自分が介入していける力をつけたいと思っていましたので、今日のお話は大変勉強となりました。

道南勤医協だより

このページの先頭へ